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あれから11年・・・・・・阪神大震災

あれからもう11年も経つんですね。
阪神大震災。

あの日、オレはちょうどベッドに入ったトコだった。

当時、ハコバンでギター弾いてたオレは遅めのお正月休みだった。
前日の夜、当時つきあってた彼女が尼崎の方の飲み屋さんでライブをやった。
オレも一応付いていって、最後に何曲か歌ったりして楽しい夜だった。
それが終わり次第、車で岡山の方にでも行くか~と言ってたのだが・・・・・

いきなりの吐き気、そして発熱。
これはもう帰るしかない・・・・・

家に戻ったのは確かAM4:00前後。
フラフラのオレはもう車で岡山どころではない。
「すまんけど・・・・ちょっと先に寝とくわ・・・・」
と、ベッドに入ってしばらくした頃・・・・・・・・・


「ドスンッ!!」


とベッドが一度沈み込んだ。
それで「え?」と目が覚めた直後、


ガタガタガタガタガタガタ!!!!!




とマンション全体が揺れだした!!!

「うおおお?!」オレはベッドから動くことが出来なかった。
隣の部屋にいる彼女の悲鳴が聞こえる。
食器棚から皿やコップが落ちてパリンパリン割れる音も。
ネコが向こうの部屋からオレのベッドに走り込んでくるのが見えた。

その直後。

走ってくるネコの上にタンスが倒れた!!!!!

「うそ?!」

揺れが収まった直後、まずはタンスを引き起こした。
タンスに立てかけてあったアコースティックギターがちょうどタンスと床の間に挟まり
そのスキマにネコがうずくまっていた。
「おお・・・・・・・・・運がよかったなあああ」
停電で辺りは静まりかえっている。
隣の部屋にいた彼女はコタツに潜り込んで無事だった。
まずガスの元栓を閉め、表に出ようとしたらドアがゆがんで開かない。

思いっきりドアを蹴り飛ばしたらやっと開いた。
お向かいさんがドアをドンドンと叩いていたので、ドアを思いっきり引っ張ってこじ開けた。

「あの・・・・・どうします?避難しますか?」とお向かいさん。

階段の踊り場から街を見てみても別に電柱が倒れたりしていない。
この時は「そんなにたいしたことないだろう」と思っていたのだ。
「いや、避難はやめときます。」
振り向いて部屋に戻ろうとして愕然とした。
ドアの横のコンクリートに大きな亀裂が・・・・・・・・

部屋に戻って目覚まし時計に内蔵されていたラジオをつけた。
「お年寄りがケガをしました」という放送だけやたら覚えてる。

「大丈夫やろ。寝とくか」

ベッドの中でうずくまって動こうとしないネコに困りながら寝た。

不思議なことに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

吐き気も熱もすっかり収まっていたのである。
今考えると「ムシの知らせ」とはあの事なのかも知れない。
なぜなら、
もし、熱も出ずに吐き気もせずに健康なままだったらオレは
ちょうどあの時刻、国道43号線を西に向かって走っていた頃だったのだから・・・・・・・

そして午前11時あたり。
大きな余震で再度目覚めた。
電気はすでに復旧していた。

テレビをつけたらそこには・・・・・・

横倒しになった阪神高速神戸線の映像が・・・・・・・

「ええええええ。エライこっちゃ!!!」

犠牲者がカタカナで次々と表示される。
次の瞬間、目を疑った。
友人の女の子の名前が・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地震の数年前、オレは一年間だけ神戸六甲に住んでいたことがあった。
その時によく遊んでいた女の子の名前が出たのだ。

ふと振り返ると留守番電話のランプが点滅している。
(この当時は携帯電話なんて庶民にはもてなかったし、携帯できる大きさではなかったw)

「留守録は・・・・2・・・・件です」

再生してみると一発目は元カノからの「大丈夫?」コールwwww
「誰?」「・・・・・・・・・し、知り合い・・・・・・・・・」
少しばかり部屋の空気が重くなったのはナイショだ。
二件目はそのテレビに名前が出た女の子からだった。

「同じ名前出てるけど同姓同名の人やから、心配せんとってね~。家は壊れたけど」

大丈夫なんやったらそれでヨシ。

テレビに映る光景はそれはすざまじい物だった。
なんせ元々住んでいた街だし。
テレビの中のJR六甲道駅はガードが転落していた。
住んでいたマンションの大家さんが心配だ・・・・・・・・!

「よし。とりあえず行こう」

水が出なくて困っているかも知れないので近くのスーパーでミネラルウォーターを買い込んだ。
車を西へ走らせる。
しかし、もちろん大渋滞で動きはしない。
43号線に迂回してもまったく同じ事だった。
西宮あたりの美術館に車を放り込み、あとは徒歩で行くことにする。
しばらく歩いていると横倒しの阪神高速が・・・・・・・・・

不謹慎かも知れないがこの時、マンガ「AKIRA」を思い出していた。
すでにこの世の風景ではなかった。

あるところから北上して2号線を目指す。
家が根こそぎ倒壊していて、ガスの匂いが充満している。
もちろん電気は消えて真っ暗だ。
月明かりだけを頼りに歩いていく。

2号線に出た。
国道沿いのマンションに張り紙が・・・・

「まだ二人埋まっています。救助お願い致します。」

二階部分だけ上からグシャリと押しつぶされたマンション。
確か・・・・・・ここに水道代払いに来たことがあった。
そう、そこは水道局だったのだ。

警察署に着いたら電話の前に長蛇の列。
トイレに行くと、水が止まっているために不衛生極まりない状態だった。

そのまま歩く。
JR六甲道までたどり着いた。
いつも行ってたレンタルレコード店がビルごと倒れていた。
COOPも完全に倒壊。
お風呂屋さんも跡形もなかった。

しかし・・・・・・・・・・・・・・・

北上して阪急六甲を超えると、電気もついているし
倒壊している家もほとんどなかった。
オレの住んでいたマンションは阪急六甲より北側のワンルーム。
1階に住んでいる大家さんはすこぶる元気だった(笑)

持ってきたミネラルウォーターは水道が止まっていないために不要になった。
このまま帰るのもなんなので、三宮に住んでいる別の友人宅に向かう。

たった一年間とはいえ、住んでいた街がガレキの山になっているのは悲しいもの。
色々な思い出をたぐり寄せながら歩く。

三宮の友人も元気だった。
水道は止まっているものの、家も倒壊せず家族全員元気だった。
ミネラルウォーターを渡してそのまま車の置いてある西宮へ。

歩いた。すげえ歩いた。

車にたどり着いた時には足が動かなかった。

そのまま家に帰って車から降りたとき、そのまますっころんでしまったほど。

・・・・・・・・・そっか。オレ、この年にハコバンやめたんだったな・・・・・・・

あれから11年。
神戸は驚異的な復興を遂げた。
たまに六甲道にラーメン食べに行くけども、あの頃とほとんど変わらないぐらいに復興していると思う。

あれだけビルがグシャグシャ潰れてたった11年なのに
なんで偽装建築とかするのか不思議だ。
所詮、人ごとなのかね。売る方は。

あの地震で無くなった方々の冥福をお祈りします。

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| 世の中の話題 | 06:57 PM | comments (2) | trackback (1) |
阪神大震災、小学生ながらにして衝撃的でした。あんとき遠く離れた下関もかなり揺れて、次の日テレビみると神戸辺りがオオゴトになってました!幼心にして地震の恐怖を少し感じてました、でもあんときからしたら神戸はむちゃくちゃ遠いイメージ(今でいうパリ)みたいなイメージがあり、現実感がなかった!

でも今こうして関西にすんでて、神戸とか電車ですぐいける。。

地震いつどこでおこってもおかしくないなあ…


被災者の方々にご冥福お祈りします
| ナオト | EMAIL | URL | 2006/01/18 02:04 AM | dTIBBFxY |
>ナオト


・・・・そうか小学生だったのかw
そりゃそーだな。

地震国家だからなあ、ここは。
でも、オレこんな体験しててもさ
家に非常用持ち出し袋とか用意してないもんね。
人間ってやっぱ忘れちゃうんだろうなあ・・・・・
忘れたらイカンのやけどね・・・・・・・
| Gaku | EMAIL | URL | 2006/01/19 02:30 AM | cxB/kusY |

http://strangeday.s31.xrea.com/blog/tb.php?260
{TRACKBACKIMG}
風化させてはいけないこと。
昨日は、1.17NAGATAゴスペルコンサートにスピリチュアルボイセス(サイト)(以下SV)の
一員として演奏してきました。

このコンサート趣旨としては、(以下SVのサイトから引
| Keep on Rockin’ | 2006/01/18 01:15 PM |

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1971.5.11生まれ
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